2017年2月アーカイブ

梅の花 見頃の岡本梅林公園へ

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2月半ば過ぎても冷え込みが厳しい日が続く中、

今年は梅の開花も遅いのかなと話していると、近畿では、一番早い神戸市東灘区の岡本梅林公園の梅が七分咲き、そして明日は快晴の予報で絶好の観梅日だと聴いて、早速、案内していただきました。

219日(日)の昼過ぎから出かけました。

阪急神戸線 特急で岡本駅下車、駅前の商店街を抜けて川っ淵の通りへ折れると六甲の山が目の前に現れました。JRのガード下を抜けて梅まつりの幟が立つ道案内で、緩やかな坂道を10分ほど歩くと、小高い丘の上の岡本梅林公園に着きました。 

5400平方メートルの公園に、40200本ほどの梅の木が植えられているという、正面に海を臨む丘の上で、快晴の青空に梅の花が鮮やかに咲初めていました。

 

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花の色は、白もピンクも紅色も澄みきった青い空に美しく映えて、見事な景観を眺めていると、陽ざしを満面に受けた丘の上は、ポカポカと暖かく春の陽気でした。

月末頃が満開らしく梅まつりが案内されていましたが、人出も混雑するほどでもなく、ゆっくりと、快晴の青空と七分咲きの梅の花を心ゆくまで楽しむことができました。

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そして、公園内も駅周辺から公園までの道中も、タバコ煙や喫煙者にも出遭うことなく快適な空気の中で過ごせたことが幸いでした。

「がん」の診断~手術直前に中止

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先月、会員の奥さんが今年初めに「肺がん」と診断されて、

2月半ばに手術すると連絡があり、その後が気になっていました。

217日に連絡があり、驚きました。

予定通りに入院して、手術の準備ができて全身麻酔をかける直前になって、

CTなど画像診断担当者からの連絡で、これは良性ではないか、50%の確率と診て

2か月後に再検査をして手術することにしてはどうか、と執刀医に伝えたことから、

本人と家族が了解して退院したということです。

 このようなこともあると考えて、今後の対策を話しました。

医師 中村 哲 氏 の講演より

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 先の会報でお知らせのとおり、

当会の会報17号で紹介の医師 中村哲 氏と、18号に掲載のホセ・ムヒカ氏が、今年度の「KYOTO地球環境の殿堂」で表彰されました。

表彰式後の国際シンポジウムに参加して、中村 哲 氏の講演を聴いてきました。 その概要をお伝えします。

残念ながら、ムヒカ氏は健康上の理由にて欠席となり、表彰式で参加者にビデオメッセージを伝える案内が告知されていました。                         

211日(土) 京都国際会館にて国際会館SS.jpg

環境保全に貢献した人を表彰する「KYOTO地球環境の殿堂」表彰式が行われました。

KYOTO地球環境の殿堂」は、「京都議定書」誕生の地、京都から世界で地球環境の保全に多大な貢献をした人の功績を讃え永く後世に伝えるために、京都府や京都市、環境省ほか研究機関等で構成する運営協議会により、2010年度に創設されています。

8回目の今年度は、「国連持続可能な開発会議」 (リオ+20)での名スピーチと

京都地球殿堂パンフS.jpg「世界でいちばん貧しい大統領」の実践で知られる南米ウルグアイ前大統領のホセ・ムヒカ氏(81)、40数年前から来日、滞在17年間、日本の大学で研究、独自の風土論を展開し日本理解に大きく貢献したフランスの地理学者、オギュスタン・ベルクさん(74歳)、戦争・動乱と難民、干ばつのアフガニスタンで医療活動と水利事業、農村復興などに取り組む(NGO)「ペシャワール会」の現地代表で医師の中村哲さん(70歳)の3人が選ばれました。


 砂漠に緑を蘇らせた医師 中村 哲 氏 の講演概要

長年にわたり医療活動を続けてきた医師・中村 哲 氏とアフガニスタンの出会いは、今から32年前に遡って、話が始まった。この間に起きた、戦争、難民、飢餓、2000年からの大旱魃(かんばつ)、そして、その渦中で生きる人々の生死と共にここまで来たという、これまでの活動を紹介された。

1984年、国際医療NGOの医師としてアフガニスタンの隣国パキスタンに派遣されハンセン病診療へ赴任、そこで戦乱の続くアフガニスタンから逃れてきた難民たちに出会った。ふるさとに戻っても医師も診療所もないと知った。医療関係者なら、この状態を見て目の前で困っている人を見捨てるわけにはいかない。1991年、アフガン東部無医地区に診療所を開設し医療活動を始めた。 

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しかし、2000年の夏、歴史的な大干ばつで水不足となり、農業にも壊滅的な打撃を与えた。水不足と食料不足で、毎日、多くの子どもたちが命を落とし、多くの人が水不足のために病気に罹患、全国で400万人が飢餓線上をさまよっていた。    この大干ばつを機に、中村氏は医療より「命の水」が先と決断した。水利事業を中心に活動を続けて17年、人々の暮らしが回復するまでに至った軌跡を画像で紹介。長い戦乱状態にあるアフガニスタンで、戦火と共に人々を苦しめているのが「干ばつ」です。いまでも国民の3分の1760万人が食料不足に苦しんでいると語った。

 さらに、中村 哲 医師のおわりの言葉が響きました。

乾いた大地で水を得て、歓喜の声を上げる人々、羊や小鳥も集う水辺で遊ぶ子供たちの笑顔に、はちきれるような生命の躍動を読み取れるのは、我々の最大の喜びである。そして、これらが平和の基礎である。

「経済力や軍事力で何かが解決するという錯覚は捨てるべきだ」と語った。

 皆さん、必要なのは武器や軍隊ではありません。

大事なのは生きることです。命こそ大切なのです。この機会を通じて活動が広がり、何らかの解決につながってほしいと伝えた。    

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「医療・治療より命の水が先」と、白衣を脱ぎ、自らツルハシを握り重機を動かして黙々と用水路を掘り続け、枯渇した大地に一面の緑の農地を蘇らせ、人々の「平和な生活」を復興させた15年の記録から、聴く人々に、戦乱と干ばつの地に真の平和をもたらす物は何であるのかを導く内容であった。

数々の苦難を乗り越えて用水路に水が流れ始めると、枯渇した大地が広大な緑の農地へと蘇り、人々の穏やかな暮らしが戻り始めた奇跡のような光景が、武器や鉄砲ではなく水が取り戻した平和であると見入り、多くの人びとに命の水と農耕の恵みを運んだその偉大な貢献の実績に感動・感服しました。

不毛の大地から水と緑の環境を創成し、自然と共に生きる術を維持するための壮大な事業を成し遂げた医師 中村 哲氏 は 病の背景となる問題を解決して人の命を救い育む崇高な科学者であると聴き入った中でも、特に下記の話が心に響きました。

"命の水源を確保する「緑の大地計画」"その着想は日本の<筑後川の山田堰>

川から水を引き込む着想は、日本の江戸時代に建設された中村 哲 氏の故郷、福岡県の筑後川の山田堰であったという。

200年以上前に完成し、現在も暴れ川と呼ばれる筑後川で崩れることなく1年を通じて安定した水量を用水路に送り続けている。重機もない時代に、どうやって先人たちはこの堰を築いたのかと、医師が建設技術に取り組み苦難の末に実現した。

そして、用水路を現地の人たちが維持・管理していけるように、江戸時代から日本で使われていた伝統的な治水技術「蛇籠」の工法を取り入れた。その強度はコンクリートに劣らない。石と鉄線さえあれば造れるため、壊れてもアフガン人自ら補修できる基盤ができた。

アフガニスタンでは自分たちの家、畑の垣根など全部自分たちで石で造るなど日常生活の中に石造りが溶け込んでいる。40度を超える炎天下でも石工のように働き続けるアフガニスタンの人々の力が大きな力となると見通した計画。

<後継者づくりを進め、今後は自力で建設に向ける養成>

今後は、用水路の建設計画をアフガニスタン全土に広めるため、用水路建設の専門家を育てる職業訓練校を設立する計画を進めている。


*当日は写真撮影禁止のため映像は掲載できなくて残念でですが、         「ペシャワール会」のウェブサイトで活動記録を閲覧できます。http://www1a.biglobe.ne.jp/peshawar/

*会場前ロビー側の外の庭園に喫煙所があり気になっていましたが、講演会が始まって暫くすると、目と鼻、喉が痛く頭痛が起きて、何人かの人が咳をし始め、まさしくタバコ煙ガスの苦痛を感知して、シンポには参加せず退場しました。こちらも残念でした。

『がん医療最前線』視聴 会員からの声

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2月10日 BS-TBS 『がん医療最前線』 

会報18号特別寄稿インタビュー記録で掲載の和田クリニックー和田洋見己 院長が出演のテレビ番組を案内しました。

 早速、内容の全般詳細を電話で報告してくれた会員話しました。

空気汚染による私たちの症状は食べ物だけでは解決しないが、呼吸によって体内に蓄積した有害物質も解毒し、「がん」ほか重疾患への免疫力を高めるためには、薬よりも、まずは、健康な時から飲食物に気をつけることが要であると、会報14号で紹介の「マクガバン報告」の再読も案内しました。

 がん罹患の会員から届いた報告より、2名の感想を下記のとおりお伝えします。

 がんの転移が3度目となった5年前、がん患者の会で温泉療法に参加した時に、和田クリニックのことを聞いて、藁にもすがる思いで予約して受診しました。

 60分くらいの面談で、いろいろ話を聴いてくれて、その後、通院して食事療法から、がんと向き合う心の持ち方のトレーニングまで、しっかりと受けました。

 経過を見て、京大病院で最小限度の手術をする手配をして戴いて、寛解、また、肺の炎症も起こしながら、胃がなくても食べて現在まで何とか生き延びています。

 テレビで、先生のお顔や、和田クリニックを紹介してくれた患者仲間も出てきて、なつかしく有難く思いました。録画したのでいつでも見ることができます。

 番組を知らせてくれてありがとうございました。

 

◆お礼が遅くなりましたが、お知らせ、ありがとうございました。

 お知らせ頂いた番組を娘に録画して貰って見ました。

 和田先生の解説は、特にとてもよい内容で嬉しくなりました。

 また私のやっている食事療法との共通部分もたくさん?あって、がんから生還した人の著書から学んだ「自分の食事方法」に自信みたいなものを感じました。

 私も、もう少し真剣に取り組んだら、もっとガンを減らせると思うのですが、神経質にならず、のんびりガンの縮小を楽しもうなんて思っているので、あまり急激な縮小はないのですが、それでも5㎝あったガンが、今は3.5㎝弱くらいです。

私は、朝食に人参、リンゴ、レモンを中心とした生ジュースと、納豆にカレー粉、すりゴマ、亜麻仁油などを加えたものを毎日、それに海草(特に海苔、ひじき)を毎日かなり多く(ノーカロリーなので、安心して)、それにビタミンEの豊富なナッツ類(アーモンドやクルミ)を毎日、ご飯は玄米食(発芽前)にして食べています。

またお味噌も発酵食品なので、野菜とキノコたっぷりのお味噌汁は欠かしませんが、今は寒いので、毎日お味噌汁に酒粕を入れて体温アップを図っています。

ガンは低体温で活発に活動するので、体温を上げるように、ニンニクや生姜、キムチ、奈良漬けなどをよく食べますが、お風呂にも保温効果を上げるために、マグマ塩(ヒマラヤの岩塩)を入れたりします。ちょっとイオウの匂いがするのですよ。マグマ塩は舐めると甘くて美味しいです。これは末期ガンから生還されたムラセテルミさんの本を読んで知った情報です。

ただ、絶対に獣肉(牛や豚など)は食べません。たまに鶏のササミを少々食べます。イカや蛸、貝類などはタウリンがよいそうなので、よく食べます。食用油は天ぷらなどはゴマ油や玄米油、炒め物にはゴマ油か、オリーブオイル、ドレッシングには亜麻仁油やえごま油を使います。

サラダ油やマーガリンは絶対に食べません。アメリカのフィネガン博士の亜麻仁油の本のカバーに、日本のスーパーに並んでいるサラダ油の写真が載っていて、デンマーク人が書いたコメントが「デンマークやヨーロッパでは発売が禁止されているサラダ油が、日本では大量に売られている」と書いてあり、笑ってしまいました。

マーガリンについても、どの本だったか忘れましたが、「アメリカでは発売が禁止されているマーガリンが何故か日本では当たり前のように売られている」と書かれていました。これも苦笑でした。

私は自分の食事療法が失敗したら「からすまの和田クリニックに行こう」と、これからは大船に乗った気分で気楽にガンの経過観察を楽しみたいと思っています。

 番組のお知らせ、本当にありがとうございました。もう一度お礼を申し上げます。

京都カナリヤ会

京都カナリヤ会のWebサイト

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